古/いにしえの面影       其の六十一

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 更新日  2004年06月21日 月曜日
暗峠

 清少納言の枕の草子、第17段に「淵は……、ないりその淵、……。」と出てきます。「勿入」とは、強い禁止を表し、絶対に入ってはいけないという意味です。危険だから入ってはいけないという意味なのか、たくさんの魚が捕れて、部外者を入れようとしなかったのか、今ではよく分かりません。
 古来、河内平野は大和川の流入する沼沢地で、江戸時代、東の深野池とは別に、市域、諸福から東大阪市、長田辺りにまで広がる勿入の淵があったといいます。所によっては、ナイスケの淵ともいい、内助の淵と書きました。これはナイリソがナイジョに転訛(てんか)し、これに「内助」の字をあて、更にナイスケと読むようになったと思われます。
 宝永元(1704)年、大和川付替工事によって河内平野は急速に新田開発されました。
※「勿入淵址」は諸福6丁目にあります。(広報だいとう:より)



台風6号が近畿の遥か南に有り〜
暑い夏日に…東大阪歴史の道をポタしました。

長田村の名残の道を〜
とりあえず長田神社を目指して…。


メインから外れようとしたら〜
行き止まりの路地でした^^;


長田神社に到着〜。
立派な木の鳥居!
しめ縄も迫力満点!!


夏日の昼間には〜
人も車も少なく…
ヒッソリと。。



路地の向うに白壁塀が〜
ここで縁日〜有れば良いのに。。


歯痛地蔵尊。。一番辛いですよね〜
歯痛って。。


古の名残の石畳。。
路地の向うに人の日常。


ガングロ土蔵発見!!

向うに見える白と黒の対比が面白く〜。。


大きめですがタイル貼りのタバコ屋サン。


木製の斜めつっかえ電柱発見!!
横の家もエエ感じでした。


いつまでも続いて欲しい〜この景色。。
路地には子供の笑い声が似合います。


やはり水との戦いか〜
平地に見えるここでも3段の石垣積んで…。

庇の役割良く判りますよね。。


人の歴史と日常の境…
やはり圧倒されます。


今では使わないかも??

一昔前の日常のヒーロー達。
(かんてき、羽釜、すり鉢、大鍋…)


畑や田圃は駐車場になり〜
牛や馬は車となった。。
白壁土蔵の風景はいつまでも変わらないでと
祈りつつ。。


道が二股に分かれるところに〜
堂々とした木立が…。

もう直ぐせみ時雨の時期です。
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