古/いにしえの面影       其の六十二

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 更新日  2004年06月21日 月曜日
暗峠
御厨(みくりやー読めますか?)という地名は、朝廷に御供えする
魚介類を獲るため、平安時代延喜五年(905)の付近に広がる
湖沼一帯を「大江御厨」と定めたことに由来する。
旧大和川が大きく大阪市内の方に蛇行して、
古くからの水との戦い〜結果的には、この辺りに豊穣な恵みや
人の歴史が刻まれたと思います。
南側を東西に暗越奈良街道が通っていて、
各所に大名行列の名残も残っていると〜



念仏寺さん〜路地の要所に神社仏閣。。
歴史の重さ〜期待できます。


期待通りの屋門がチラリと〜
右を向いても左を見ても…
キョロキョロ目移りして
中々前に進めません〜^^;


似てますわ!
関目や野江の路地裏に〜


天神社(てんじんじゃ)
ここの境内には幹周り6mの楠が〜
市の天然記念物に指定されています。
古くからこの地の歴史を
見てきたのだと思います。


神社の横は白壁土蔵の
こなれた町並み〜暗越奈良街道です。
(何かここも関目に似ています^^)


誰〜?
神さんの樹木に落書き掘り込んだのは…。。
人の営み〜木の歴史。


おお〜っ!藁葺き屋根が見えました〜。。
綺麗に保たれています。


上に家屋も『御厨巴屋』さんです。
看板が泣かせます〜


わらび餅食べたかったのですが〜
残念ながら…本日売り切れとの事。。
今度こそ〜食べよっと!


周りの、お家も時間が止った様な〜
エエ感じ!


鏡の中の街道筋。。
果たして何処に行けますか??


地蔵の辻。。

焼き板の
果てで地蔵
微笑んで…


障子の玄関が目に飛び込んで〜
後ろに家の方が立っておられたのが
目に入らずに〜
『おおきに…うち撮ってくれはるの〜』と…
「好きなんですわ!」と私。

こっちこそオオキニさんでした〜^^


奈良と大阪を最短距離で結び途中に450mの暗峠を越える
八百八丁の街道…秀吉時代に大坂城に通う大名が増え
大阪玉造(明治には高麗橋)を基点として
街道が造られました。
大名休憩所だったここ植田家には松平甲斐守様御本陣、
片桐岩見守様御本陣の木札が残されているとか…

元は草葺だったそうで〜堂々たる造りの建物です。
力士羽黒山がシキダイを踏み割ったとも…。

現在も住まれているそうで一般公開は無いとの事〜残念!!


大和川の付け替えの後に、この辺りを
開墾した菱屋庄右衛門の屋号を取った。
菱屋東、菱屋中、菱屋西を新田が作られた。
後に三井家の持ち物となり〜
三井会所(土地管理事務所)が残りました。


新御厨中橋から街道を見たら〜
向うに生駒山も笑ってました。


旧大和川の名残の第二寝屋川〜
ザンナイ名前を付けたものですなぁ。
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