古/いにしえの面影       其の十

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

更新日  2003年12月24日 水曜日
蒲生
くらがりとうげ

地名の由来(城東区HPより)
旧大和川(寝屋川)の北岸に位置し、洪水に苦しんだ低地帯であり、蒲生の名が使われるのは、江戸時代に入ってからで、以前は16軒の地主がいたので16軒村と呼ばれていました。

また、文保元年(1317年)僧法蓮が奉進した「薬師寺鐘銘(やくしじしょうめい)」(『集古群類』)には摂津国榎並蒲生薬師寺とあり、蒲生は古くからの呼び名であったともいわれています。

古来この地は蒲穂の産地であり、地名もこれに由来するものと考えられています。

江戸時代の「五畿内産物図会」には、深江(東成区)の「菅笠」とともに蒲生村の「蒲穂」が名産品として紹介されています。


今里筋に面した処です。何が有ったのでしょうか?
石積みの跡だけがひっそりと…時代の綻びか?

風呂屋も受難の時代です

第二寝屋川と平行に野崎街道が伸びています。

昭和初期の頃作でしょうか?
カッコいいですなぁ〜
この格子で雨上がりには傘干して…


白壁も笑っています。

街道は少し高い位置に有って…
階段を下りると時間の止まった空間。。
幼き頃の夕日の思い出が…。

農村の名残か…萱葺屋根がまだ、おます〜

大阪夏の陣…要所だったのですね。
補足写真…Nさん多謝。。2004.02.16

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