地名の由来(城東区HPより)
旧大和川(寝屋川)の北岸に位置し、洪水に苦しんだ低地帯であり、蒲生の名が使われるのは、江戸時代に入ってからで、以前は16軒の地主がいたので16軒村と呼ばれていました。
また、文保元年(1317年)僧法蓮が奉進した「薬師寺鐘銘(やくしじしょうめい)」(『集古群類』)には摂津国榎並蒲生薬師寺とあり、蒲生は古くからの呼び名であったともいわれています。
古来この地は蒲穂の産地であり、地名もこれに由来するものと考えられています。
江戸時代の「五畿内産物図会」には、深江(東成区)の「菅笠」とともに蒲生村の「蒲穂」が名産品として紹介されています。
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