古/いにしえの面影       其の三九

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 更新日  2004年05月11日 火曜日
暗峠
くらがりとうげ
  

見上げた空に〜
眼鏡の様な…橋。。
これこそ誰が歩いて渡るネン!
と大声で叫びたくなりますよ。

中山製鋼所から登る水蒸気。。
中々の迫力!

梅田の空中庭園辺りを望んでいます。
NISSANの飛行船がポッカリと〜

千本松橋〜33m
マンション10階相当の高さ。。
山登りやで!

背中で何を語るのか?
裕次郎気取ったミー様。。??


南恩加島側が港みたい。。
お迎えに来ましたよ!

航海日誌?乗客人数を書き込んでいます。

南恩加島に着いたら〜ナンジャラホイ??
良く見たら〜〜
ギョウサンのエンジン等のスクラップの山。。

大型トラックと比べたら〜
この量が判りますよね。。

南恩加島を二人でポタリ〜
早速、見つけました〜
アパートの入り口?


路地発見!
入り口は〜お店です。。

う〜ん何と言いましょうか。。
オット〜つっかえ棒

このセンス〜私は好きです。

大運橋本通商店街。。
チョッと寂しい感じ〜

「おっちゃんいくら?」
「百万円!」
と吉本的なコントが聞こえそうな〜〜。

公園?神社?
南恩加島公園と南恩加島天満宮。。でした。
共有通路。。。

社務所〜何か変??

昔は大運市場ゆうたのでしょうか?

よれた感じの有刺鉄線と工場の壁。。
私の家の近所にも良く有りましたが…
今は、おません。

400m程有る商店街です。

工場の煙突の香りが街全体にします。
錆色の世界に〜

千本松大型ゴミ処理場では有りません。

出を待つ〜ハンドナー。。

 大正区南恩加島1丁目と西成区南津守二丁目を結ぶ(岸壁間230メートル)。
 このあたりは木津川の川尻に近く、江戸時代には諸国廻船の出入りの激しいところであった。幕府は、舟運の安全のため水深を確保し、また防波堤のとしても役立つよう、天保3年(1832)ここに大規模な石の堤を築いた。千本松の名は、この堤防の上に植えられた松並木に由来する。「摂津名所図会大成」に「右 塘(つつみ)に数株の松を植列ぬるゆえに俗に木津川の千本松といふ 洋々たる蒼海に築出せし松原の風景は彼の名に高き天橋立三保の松原などもほかならず覚ゆ・・・」と述べている。
 千本松の渡しが設けられた年代ははっきりしないが、大正時代の中頃に初めて設けられたものと思われる。昭和48年に千本松大橋が完成し、それとともに渡しは廃止されることになっていたが、地元住民の強い要望によって存続することになり、現在も通勤通学の貴重な足として利用されている。
平成12年度現在の1日平均利用者数は
1300人程度となっている。
(大阪 渡船場マップより)

このループが綺麗かは、
現物を見てください。。
唖然ですわ!

南浜〜浜でしてんね。

通天閣〜かろうじて頭を覗かせて。。

船は出る出る〜
手を振るハンドナー君。。

新しい建物。。
蔦が綺麗〜
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