古/いにしえの面影       其の五

怪しい親父輪っぱの会 別館 一人歩き編です。

 更新日  3年12月23日 水曜日
鴻池新田
くらがりとうげ
徳川家康が豊臣家を攻めた大坂冬・夏の陣では、若江が激戦の地となり、大坂方の武将・木村重成はここで戦死しました。江戸時代、河内平野を南北に流れ、毎年のように洪水を繰り返していた大和川は、今米村・中甚兵衛らの幕府への請願が実を結び、宝永元年(1704年)堺までの付け替えが行われました。広い旧川床や池沼地は埋め立てられて新田となりました。大阪の豪商、鴻池善右衛門が開発した鴻池新田には、いまも豪壮な会所が残っています。旧川床には木綿が栽培され、河内木綿の名が全国に広がりました。山麓地帯では、水車を利用したいくつかの地域産業が発達しました。文化面でも松尾芭蕉が元禄7年(1694年)「菊の香にくらがり登る節句哉」の句を残し、日下に仮寓していた上田秋成が「山霧記」「鳴鶴園記」などの作品を残しました。ついで文化・文政の時代から幕末にかけ、国学、和歌、俳諧などを学ぶ庄屋層を中心とした多彩な河内文芸が醸成されたのです。(東大阪市HPより)

刈入れ時も過ぎ、ほっと一休みの畑と景色…

橋の上から振り返れば昭和以前の家並みと
平成以降の建物〜仲を取り持つのは葦原。。
私はどっち?何処に居ても〜今、現在…

明治と平成の向うに昭和の団地が…被さって。。

焼き板にもたれて一休み…ミニランちゃん。

歴史を語る灯篭の向うに石臼が…

団地の給水塔が巨神兵の様に〜

JR学研都市線、鴻池新田駅の裏に有ります
銀杏の木の上で私は待ってます。。

鴻池新田会所が綺麗に保存されています。

堂々の鬼瓦〜

竹を開いてタイルのように〜。

鴻池新田会所の玄関…
マンションと住宅地の間にポカリと〜。

趣があります…歴史に〜鴻池さんに〜
納屋や見回り小屋も金をかけたら立派ですなぁ。

内部の開放も有ります。

周りには掘割が…

手が込んでいます。

春と秋〜に又来ましょ。
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